「お愛想してくださ~い」
よく使いますよね。この場合のお愛想(おあいそ)は、本来お店側が「何の愛想もなくてごめんなさいね。」とお客さんに断りながら勘定書を示していた言葉。ま、それはさておき、「おあいそ!」と親が店員さんに言う姿を子供のころは「オトナな表現」だなあと私は感じていた。
この「愛想」というのは現代社会のオトナなコミュニケーションにとって大切な能力だと思うのです。
私たちは人と人とのコミュニケーションというものが必要な社会に暮らしている。家族という単位から、ご近所さんの付き合い、学校のクラス、部活、団体・会社の所属部署、そして社会全体という大きな単位までいろいろなところに所属していて、誰しも好きな人とばかり会話をするわけじゃない。
特に会社勤めの場合、好きな人とだけ仕事をしていれば良いという環境はなかなかなく、苦手な人や嫌いな人とも社業発展のために議論したり、協調したりしなくてはならない。当たり前だが、好きな人とだけ会話していても発展性がないし、人間としての成長が見込めない(と、私は思う)。
常に自分の気持ちに正直で、相手に対して真っ向勝負の人間もいるが、軋轢を生んでしまうことがある。本人は気づかないこともあるかもしれないけど。
「その気持ち、わかるけど、何もそこまで確信を突かなくてもいいでしょう」という思いや「そりゃそうだけど、そう言ってしまうと身も蓋もない」という受け止められ方というのは常に自分たちの周りに存在するもの。
そこでコミュニケーションを円滑にする技として「愛想」というものが存在するのだろう。下記の通り、辞書によると「言葉遣い・表情・態度・振る舞い」なので、これは紛れもなくテクニックなのだ。「愛想」をきちんと使える人はリアルな付き合いでもバーチャルな付き合いでもたぶん周囲の人とうまくいってる。
goo辞書によると、
- 人に対する応対の仕方。好感をもたれる言葉遣い・表情・態度など。
→愛想がいい、愛想がない人 - 人を喜ばせるための言葉や振る舞い。
→愛想を言う - 相手に抱いている好意。
→愛想が尽きる - 特別な心遣い・もてなし・心付けなど。
→なんのお愛想もございませんで - 飲食店などの勘定・勘定書。
2.4.5.は「おあいそ」の形が多い。
ただ、この「愛想」というやつはそれほど肯定的な言葉でもない。そこがミソだ。「愛想がないヤツだなあ」と言われるより「あいつは愛想がいい」と言われるほうがいいのだが、なぜか愛想がいいと言われて心底喜べない気がする。だからこそ、オトナの武器なんだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿